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江戸の出版王!蔦屋重三郎 ゆかりの地をめぐる旅

   

はじめに

anatato.jp へ本日もお越しいただきありがとうございます!

本記事では江戸時代に本屋さんとして大活躍した蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)についてお話しします。

蔦屋重三郎は、今でいう「出版プロデューサー」のような人でたくさんの面白い本や美しい絵を世に送り出したすごい人なんです。

特に東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)や葛飾北斎(かつしか ほくさい)といった、今でも世界中で有名な絵師たちを有名にしたことでも知られています。

本記事では、そんな蔦屋重三郎にゆかりのある場所、つまり「蔦屋重三郎ゆかりの地」をめぐる旅にご案内します!

江戸時代の文化や歴史を感じながら、一緒にタイムスリップしてみませんか?

江戸の出版王!蔦屋重三郎 ゆかりの地をめぐる旅

第1章:蔦屋重三郎の生い立ち

蔦屋重三郎は1750年に江戸の吉原という場所で生まれました。

子どもの頃から本が大好きで、10代の頃には貸本屋さんで働いていました。

そして23歳の時に吉原に「耕書堂(こうしょどう)」という自分のお店を開きました。

これが蔦屋重三郎の出版人生の始まりです!

蔦屋重三郎の生家があった場所は今はもうありませんが、東京都台東区に「蔦屋重三郎生誕の地」という記念碑が建てられています。

「蔦屋重三郎ゆかりの地」をめぐる旅の出発点として、ぜひ訪れてみてください。

  • 蔦屋重三郎生誕の地
  • 住所:東京都台東区千束4丁目付近

第2章:蔦屋重三郎と東洲斎写楽

蔦屋重三郎はまだ無名だった東洲斎写楽の才能を見抜き、その絵を世に送り出しました。

写楽は歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)の絵をたくさん描きました。

その絵は役者たちの表情やしぐさをとてもユニークにとらえていて、当時の人々に大きな衝撃を与えました。

それまでの役者絵とは全く違う、写楽独特のスタイルは、たちまち大人気となりました。

まさに蔦屋重三郎のプロデュース力のおかげですね!

写楽の代表作の一つである「市川鰕蔵の竹村定之進」(いちかわ えびぞうの たけむら さだのしん)は、東京都台東区にある東京国立博物館で見られます。

「蔦屋重三郎ゆかりの地」を訪れる際にはぜひ東京国立博物館にも足を運び、写楽の迫力ある絵を間近で見てみてください。

  • 東京国立博物館
  • 住所:東京都台東区上野公園13-9
  • ウェブサイト:https://www.tnm.jp/
    江戸の出版王!蔦屋重三郎 ゆかりの地をめぐる旅

第3章:蔦屋重三郎と葛飾北斎

蔦屋重三郎は葛飾北斎の才能にも早くから注目していました。

北斎は風景や人々の暮らしなど、様々なものを描いた絵師です。

中でも有名なのが「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」という、富士山を色々な場所から描いた連作です。

「富嶽三十六景」は日本の風景画に大きな影響を与えました。

「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」という、大きな波と富士山を描いた作品は皆さんも一度は見たことがあるのではないでしょうか?

「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は東京都墨田区にある「すみだ北斎美術館」で見られます。

北斎の素晴らしい作品の数々を、ぜひその目で確かめてみてください。

「蔦屋重三郎ゆかりの地」をめぐる旅のハイライトになること間違いなしです!

第4章:蔦屋重三郎と寛政の改革

江戸時代には「寛政の改革(かんせいのかいかく)」と呼ばれる、幕府による厳しい政治改革が行われた時期がありました。

この改革によって蔦屋重三郎の出版活動も制限されてしまいました。

しかし蔦屋重三郎は、その後もあきらめずに出版活動を続け、多くの優れた作品を世に送り出しました。

蔦屋重三郎の本に対する情熱は本当にすごいですね!

蔦屋重三郎は1797年に48歳で亡くなりました。お墓は東京都台東区の浅草にある誓教寺(せいきょうじ)にあります。

「蔦屋重三郎ゆかりの地」として、ぜひ訪れてみてください。

静かなお寺で蔦屋重三郎の功績に思いを馳せてみましょう。

  • 誓教寺
  • 住所:東京都台東区元浅草4丁目5-15

第5章:蔦屋重三郎ゆかりの地をめぐる

それではいよいよ「蔦屋重三郎ゆかりの地」をめぐる旅に出発しましょう!

ここではモデルコースを簡単にご紹介します。

  1. スタート:蔦屋重三郎生誕の地(東京都台東区)
  2. 東京国立博物館:写楽の「市川鰕蔵の竹村定之進」を見よう!(東京都台東区)
  3. すみだ北斎美術館:北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を見よう!(東京都墨田区)
  4. ゴール:誓教寺:蔦屋重三郎のお墓参りをしよう!(東京都台東区)

この他にも、吉原や浅草、両国など、蔦屋重三郎ゆかりの地はたくさんあります。

それぞれの場所で、蔦屋重三郎がどんな活動をしていたのか、どんな人々と関わっていたのかを想像しながら歩いてみてください。

きっと江戸時代の息吹を感じることができるはずです。

蔦屋重三郎ゆかりの地を訪れる際には、歩きやすい靴を履いて、水分補給も忘れずに!

また各施設の開館時間や休館日を事前に確認しておくことをおすすめします。

江戸の出版王!蔦屋重三郎 ゆかりの地をめぐる旅

まとめ

蔦屋重三郎は江戸時代の文化に大きな影響を与えた本当にすごい人です。

蔦屋重三郎ゆかりの地をめぐることで、江戸時代の文化や歴史をより深く理解できます。

そして何より、蔦屋重三郎が出版した素晴らしい芸術作品の数々に触れることができます。

さあ、皆さんも蔦屋重三郎ゆかりの地を訪れて、江戸時代の文化を体験してみませんか?

きっと、新しい発見や感動が待っていますよ!

 

豆知識

蔦屋重三郎が開業した耕書堂跡は現在どのような場所ですか?

蔦屋重三郎が開業した「耕書堂」は、江戸時代において重要な書店であり、現在もその跡地は観光地として注目されています。以下に、耕書堂跡の現状について詳しく説明します。

耕書堂跡の現状

  • 所在地: 耕書堂は元々、江戸の新吉原大門前に位置していましたが、後に日本橋通油町に移転しました。現在の跡地は東京都中央区日本橋大伝馬町にあります。

  • 観光施設: 2025年1月18日には、蔦屋重三郎にちなんだ新しい施設「江戸新吉原耕書堂」がオープンしました。この施設では観光案内や土産物の販売が行われ、来訪者をおもてなしすることを目的としています。

  • 歴史的な説明板: 耕書堂跡には、蔦屋重三郎の業績や耕書堂の歴史を紹介する説明板が設置されています。この説明板は、訪れる人々に江戸時代の出版業の重要性を伝える役割を果たしています。

  • 周辺の文化的な魅力: 耕書堂跡は、江戸時代の商業の中心地である日本橋に近く、周囲には他の歴史的な名所や文化施設も多く存在しています。これにより、訪問者は江戸の歴史を感じながら散策することができます。

このように、耕書堂跡は単なる歴史的な場所にとどまらず、現代の文化や観光と結びついた重要なスポットとして再生されています。蔦屋重三郎の業績を知る良い機会となるでしょう。

 

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