【ミラノ五輪】二階堂蓮、涙の銀メダル!父・学氏と交わした抱擁の真実とプレダッツォの奇跡【現地詳報】
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2026年2月15日未明(日本時間)。
イタリア北東部、ドロミテ渓谷の深く静寂な闇に包まれた「プレダッツォ(Predazzo)」。
ジュゼッペ・ダル・ベン・スキージャンプ・スタジアムのナイター照明が雪面を照らし出す中、日本中が固唾を飲んで見守った一筋の軌跡がありました。
ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪、スキージャンプ男子ラージヒル決勝。
その中心にいたのは、24歳の若きエース、二階堂蓮選手でした。
「行け!」
「伸びろ!」
深夜のテレビの前で、多くのファンがそう叫んだことでしょう。
しかし、着地した直後の二階堂選手の表情に、メダル獲得の安堵や笑顔はありませんでした。
ヘルメットを脱ぎ、ゴーグルを外したその瞳から溢れ出したのは、とめどない涙。
それは歓喜の涙ではなく、金メダルを目前で逃した「強烈な悔恨」の涙でした。
そして、ミックスゾーンのフェンス越しに彼を待ち受けていたのは、観客席から駆け付けた一人の男性。
元日本代表ジャンパーであり、蓮選手の父である二階堂学(まなぶ)氏でした。
カメラが捉えたのは、泣きじゃくる息子を力強く抱き寄せ、無言で背中を叩く父の姿。
その光景は、35年前の1991年、父が同じこのプレダッツォの地で世界選手権に挑み、そして夢破れたという「因縁の物語」を想起させるものでした。
なぜ、銀メダルという快挙なのに、彼はこれほどまでに泣いたのか。
そして、「二世ジャンパー」という重圧と戦い続けてきた二階堂蓮選手にとって、この銀メダルと、来るべき「スーパーチーム」への挑戦はどのような意味を持つのか。
本記事では、単なる競技速報では伝えきれない、二階堂蓮選手と父・学氏の間に流れる「プレダッツォの奇跡」と「涙の真実」について、現地からの確定情報と過去のデータを紐解きながら、徹底的に深掘りしていきます。
【詳報】二階堂蓮、ドロミテの夜空に描いたアーチと「悔し涙」の理由
まずは、歴史に残る激闘となった試合内容を、正確なデータと共に振り返ってみましょう。
時計の針を、現地時間2月14日の夜に戻します。
1回目トップからの「金メダル確信」、そして悪夢
50名のジャンパーが参加した第1ラウンド(1本目)。
二階堂選手は、完璧なタイミングでサッツ(踏み切り)を決めました。
空中で静止したかのような美しいV字フォーム。
K点を大きく越える140.0mのビッグジャンプ。
さらに特筆すべきは、着地で「テレマーク」を鮮やかに決めたことです。
飛型点(スタイルポイント)でも審判団から高い評価(57.0点)を引き出し、合計154.0点をマーク。
強豪ドメン・プレブツ(スロベニア)に7.0点もの大差をつけ、堂々の暫定トップに立ちました。
「金メダルが見えた」 日本のファンだけでなく、現地の解説者もがそう確信した瞬間でした。
しかし、オリンピックには魔物が住んでいると言われます。
上位30名による第2ラウンド(2本目)、プレダッツォの谷間特有の気まぐれな風が、勝負の綾となりました。
わずか6.8点差の逆転劇
2本目、先に飛んだライバルのドメン・プレブツが驚異的なジャンプを見せます。
141.5mの大飛行で、合計301.8点という高いハードルを設定しました。
そして最終滑走者、二階堂蓮。
プレッシャーがかかる場面、さらには追い風という不利な条件。
彼は果敢に攻めました。
しかし、飛び出し直後に左のスキー板がわずかに下がるミスが発生。
必死に空中で修正し、136.5mまで距離を伸ばして粘りのテレマークを入れましたが、飛距離換算でわずかに及びませんでした。
- 1位(金): ドメン・プレブツ(スロベニア) - 301.8点
- 2位(銀): 二階堂 蓮(日本) - 295.0点
- 3位(銅): カツペル・トマシャク(ポーランド) - 291.2点
その差、わずか6.8点。
あと数メートル飛んでいれば、歴史は変わっていました。
この「手の届くところにあった金メダル」がスルリと抜け落ちた現実こそが、彼の涙の正体だったのです。
「祝福できない」インタビューの真意
試合直後のフラッシュインタビュー。
銀メダル獲得という偉業にも関わらず、二階堂選手の第一声は、震える声での「悔しい」でした。
「悔しい。悔しいっす。2本目、失敗してしまって、上手くいけばっていうのがどうしても頭によぎってしまったのが本当に悔しい。(銀メダルについて)悔しい思いが強すぎて、心からメダルを獲得したことを自分から祝福できない」 (出典:Olympics.com ミラノ・コルティナ2026 公式結果報道より)
「おめでとう」という言葉がこれほどかけづらい銀メダルがあったでしょうか。
しかし、この言葉こそが、彼が世界一だけを目指す本物のアスリートである証左です。
35年の時を超えて。「父」二階堂学とプレダッツォの因縁
中継映像で、泣きじゃくる二階堂蓮選手の肩を抱き、力強く背中を叩いていた男性。
彼こそが、蓮選手の父であり、ジャンプの師でもある二階堂学(まなぶ)氏です。
実は、この「プレダッツォ」という会場は、二階堂親子にとってただのジャンプ台ではありません。
35年の時を超えた、運命的なドラマの舞台だったのです。
1991年世界選手権の記憶
時計を1991年に巻き戻しましょう。
当時、二階堂学氏は現役の日本代表ジャンパーとして、イタリア・プレダッツォで開催されたノルディックスキー世界選手権に出場していました。
「日の丸飛行隊」の一員として世界に挑んだ父でしたが、結果はメダルに届かず。
ワールドカップでの最高順位も12位と、世界の壁に跳ね返された場所でもありました。
そして2026年2月15日。
かつて自分が飛んだ同じジャンプ台で、息子が銀メダルを首にかけたのです。
しかも、二階堂蓮選手にとっては、個人ノーマルヒル(銅)、混合団体(銅)に続く、今大会3つ目のメダル。
1つの大会でメダル3個獲得は、1998年長野五輪の船木和喜選手以来、日本ジャンプ史上2人目となる歴史的快挙でした。
【現地秘話】父が息子にかけた言葉と抱擁の真意
銀メダルが確定した後、ミックスゾーンのフェンス越しに起きたドラマについて、現地からの報道情報を整理します。
「ごめん」と「次だ」
報道によると、父の姿を見つけた瞬間、蓮選手は子供のように泣きじゃくり、「ごめん、悔しい」と漏らしたと伝えられています。
そんな息子に対し、学氏は言葉少なに、しかし力強く抱き寄せました。
一部の報道では、父は息子に対し、数日後に控える「次」の戦いを見据えるよう、力強く励ましたとも報じられています。
その背中を叩く手には、「よくやった」という労いと、「まだ終わりじゃない」という鼓舞の両方が込められていたはずです。
この抱擁シーンは、単なる親子愛だけでなく、35年前に父が果たせなかった夢を息子が繋ぎ、そしてさらに上を目指そうとする「継承」の瞬間として、世界中のメディアに報じられました。
次戦「スーパーチーム」へ!涙を金に変えるためのロードマップ
ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪はまだ終わりではありません。
二階堂蓮選手には、まだやり残したことがあります。
新種目・スーパーチーム(団体)への期待
次戦は、現地時間2月16日(日本時間17日未明)に予定されている新種目、「男子スーパーチーム(Super Team)」です。
【スーパーチームとは?】
今大会から五輪で初めて採用された新フォーマットです。
従来の4人制団体戦とは異なり、国ごとの代表2名がペアを組みます。
3回のラウンド(予選、1回目、2回目)を飛び、その合計点を競うという、より個の力がダイレクトに反映されるスリリングな形式です。
【日本代表の展望】
日本からは、エース・小林陵侑選手と、銀メダリスト・二階堂蓮選手の最強ペアが出場することが確実視されています。
小林選手も個人戦での悔しさを抱えており、二階堂選手とは「次こそ金だな」と誓い合ったとされています。
個人の悔しさを晴らすには、仲間と共に頂点に立つことしかありません。
父・学氏が見守るプレダッツォの空に、今度こそ「君が代」を響かせることができるか。
最大の注目が集まります。
まとめ:二階堂蓮の涙は「伝説の序章」に過ぎない
2026年2月15日、プレダッツォで二階堂蓮選手が流した涙と、父・学氏との抱擁。
それは間違いなく、ミラノ五輪のハイライトの一つとして、長く語り継がれることになるでしょう。
- 偉業: 日本ジャンプ史上2人目となる、1大会3メダル(銀1、銅2)の獲得。
- ドラマ: 35年前に父が挑んだ同じ地での、親子二代の雪辱と継承。
- 未来: 「悔しさ」を燃料にした、スーパーチームでの金メダルへの挑戦。
父の夢を叶え、そして超えていった二階堂蓮。
彼のジャンプ人生において、この銀メダルはゴールではなく、真の王者になるための通過点に過ぎません。
表彰式の後、少しだけ前を向いた彼の瞳には、もう次の「金色の景色」が映っていたはずです。