【2026ミラノ五輪】パシュート「プッシュ戦術」とは?反則じゃない理由と銅メダル獲得の舞台裏【0.11秒のドラマ】
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あの「背中を押す手」に隠された、0.11秒の涙と復活のドラマ
2026年2月18日、日本時間の未明。
イタリア・ミラノから届いた熱いニュースに、日本中が湧き上がりました。
ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪、スピードスケート女子団体パシュート。
日本代表チームが見事に銅メダルを獲得し、平昌(金)、北京(銀)に続く、3大会連続の表彰台という偉業を成し遂げました。
主将・高木美帆選手にとっては、今大会の500m(銅)、1000m(銅)に続く3つ目のメダルであり、これで冬季・夏季通じて日本人女子選手初となる「通算10個目のメダル」という歴史的快挙を達成しました。
しかし、テレビの前で固唾を飲んで応援していたあなたの中には、感動と同時に、ある「違和感」や「疑問」が浮かんだのではないでしょうか?
「あれ…? 今、後ろの選手が前の選手のお尻を強く押さなかった?」
「スピードスケートって、手を使ってもいいの? 反則じゃないの?」
「昔の日本チームは、触れずにきれいに滑っていた気がするけど…」
SNS上では、「パシュート 押してる」「パシュート ルール」といった検索ワードが急上昇しました。
かつて「世界一美しい」と称賛された、一糸乱れぬ隊列美を記憶しているファンほど、今回の日本チームが見せた「なりふり構わず手で押す姿」に衝撃を受けたことでしょう。
結論から申し上げます。
あの一見不思議に見える動作は、「プッシュ戦術」――海外では「ペイン・トレイン(Pain Train)」とも呼ばれる、ISU(国際スケート連盟)のルール上認められた正当かつ高度なチーム戦略です。
そして、あの「手」には、単なる加速のためだけではない、準決勝での「0.11秒差」の悲劇から立ち直るための苦悩、急遽のメンバー変更、そして互いへの深い信頼が込められていました。
この記事では、2026年のパシュート界を席巻した「プッシュ戦術」について、その定義やルール上の解釈はもちろん、なぜ日本代表が「美しさ」を捨ててまでこの戦術を選んだのか。
そして、銅メダル決定戦でアメリカを圧倒した3分間の舞台裏を、物理学的根拠と現地のファクトに基づき徹底解説します。
これを読み終える頃には、あなたはきっと、あの「背中を押す手」を見るだけで、胸が熱くなるはずです。
第1章:パシュートにおける「プッシュ戦術」の正体
まずは、今回最大の議論の的となっている「プッシュ」について、その定義と仕組みを正確に理解しましょう。
1-1. プッシュ戦術とは具体的に何をしているのか?
パシュート(団体追い抜き)におけるプッシュ戦術とは、「後続を滑る選手が、前を滑る選手の腰や臀部(お尻)付近に手を当て、物理的な力を加えて前へと押し出す加速テクニック」のことを指します。
通常、スピードスケートのパシュート競技は、3人の選手が縦一列に並び、空気抵抗を極限まで減らすように滑走します。
先頭の選手が最も風の抵抗を受けるため、体力を激しく消耗します。
そのため、定期的に先頭を交代(ローテーション)しながら、チーム全体の体力を温存してゴールを目指すのが従来のセオリーでした。
しかし、今回日本チームが採用したプッシュ戦術では、この「追走」に加えて「加勢」を行います。
後ろの選手はただついていくだけでなく、自分の余った力を使って前の選手をグイッと押し、文字通り「ブースト」をかけるのです。
海外ではこの戦術を、苦しみに耐えて連なる列車になぞらえて「ペイン・トレイン(Pain Train:苦痛の列車)」と呼びます。
それほどまでに、過酷で、かつ強力な戦術なのです。
1-2. ISUルール上の解釈:なぜ反則にならないのか?
多くの視聴者が抱く「反則ではないのか?」という疑問。
これに対する答えは明確です。
「国際スケート連盟(ISU)のルール上、チームメイトに対する接触や補助は禁止されていません。」
スピードスケート競技において禁止されているのは、主に以下の行為です。
- 他チームの選手への妨害: 相手のコースを塞ぐ、接触して転倒させるなど。
- コースアウト: 指定されたレーンの外側に出ること(一部例外あり)。
- 用具の不正使用: 規定外のスケート靴やウェアの使用。
しかし、パシュートのように「同チームの選手同士」が協力してタイムを競う種目において、互いに接触して助け合うことは、戦術の一部として完全に容認されています。
分かりやすい例として、ショートトラックのリレー種目を思い浮かべてください。
次の走者に交代する際、前の走者が次の走者のお尻を勢いよく押して加速させますよね(タッチ)。
あれは「バトンパス」の代わりに行われる行為ですが、パシュートのプッシュも原理的には同じです。
「自分たちのチームを速くするために、自分たちの体を使って助け合う」ことは、何らルール違反ではなく、むしろルールの枠内で最大限の工夫を凝らした「知能プレー」なのです。
1-3. なぜ「反則」に見えてしまうのか?
では、なぜこれほどまでに視聴者は違和感を覚えるのでしょうか。
それは、これまでのパシュート観戦における「日本の成功体験」とのギャップに原因があります。
特に日本のファンにとって、パシュートといえば2018年平昌五輪の金メダルチーム(高木美帆選手、高木菜那さん、佐藤綾乃さん、菊池彩花さん)のイメージが強烈に残っています。
彼女たちの武器は、センチ単位で揃えられた脚の動きと、まるで一人の人間が滑っているかのような究極のシンクロナイゼーションでした。
体に触れることなく、気配だけで意思疎通をするような「美学」があったのです。
対して、今回のプッシュ戦術は、見た目が非常に「物理的」で「泥臭い」ものです。
ユニフォームの上からガシッと手を当てて押す姿は、優雅なスケーティングとは対極にあり、どこか必死さが前面に出ています。
この視覚的な変化が、「何かズルをしているのではないか?」「美しくない」という一時的な拒否反応を生んだと考えられます。
第2章:物理学で読み解く「押す」ことの3つのメリット
ルール上問題ないとしても、時速50km以上で滑走する極限状態で、わざわざ片手を離して前の選手を押すという行為には、転倒のリスクが伴います。
それでもなお、アメリカをはじめとする世界中の強豪国や、今回の日本代表がプッシュ戦術を採用するには、リスクを上回る合理的な理由があります。
特に今回の開催地であるミラノのリンク特性が、この決断を後押ししました。
メリット①:ミラノの「平地リンク」と空気抵抗の壁
今回の会場となった「ミラノ・スピードスケート・スタジアム(フィエラ・ミラノ)」は、標高の低い平地に位置する「ローランドリンク」です。
カルガリーやソルトレイクシティのような高地(ハイランド)リンクと異なり、平地は空気が濃く、その分だけ「空気抵抗」が大きくなります。
- 先頭の選手: 濃い空気の壁を切り裂いて進むため、体力消耗が通常以上に激しい(=体力の借金)。
- 2番目・3番目の選手: 前の選手がスリップストリーム(空気のトンネル)を作るため、抵抗が大幅に軽減される。
プッシュ戦術の肝は、「後ろで楽をして余っているエネルギーを、今まさに空気の壁と戦っている先頭選手にリアルタイムで送金する」ことにあります。
後ろの選手が前の選手を押すことで、先頭選手の負荷は軽減されます。
本来なら減速してしまうような場面でも、後ろからの推進力が加わることで速度を維持できる。
つまり、空気抵抗の大きいミラノのリンクにおいて、これは必須の攻略法だったのです。
メリット②:チーム内の「走力格差」を強制的に埋める
パシュートは「3人目がゴールしたタイム」が記録となります。
つまり、どれだけエースが速くても、3人目の選手が遅れれば負けが決まります。
現在の日本チームには、世界記録保持者クラスの絶対的エース・高木美帆選手と、若手選手との間にどうしても走力の差(個人の持ちタイムの差)が存在します。
- エースが本気で滑ると: 他の2人がついてこれず、隊列が千切れてしまう。
- 遅い選手に合わせると: チーム全体のタイムが伸びない。
このジレンマを解決するのがプッシュ戦術です。
走力のある選手、あるいは体力が残っている選手が、消耗している選手や走力が劣る選手を物理的に押すことで、強制的にスピードを底上げします。
「遅い選手を置き去りにしない」ではなく、「遅い選手を速い選手が運ぶ」、あるいは「速い選手を後ろの選手がさらに加速させる」という相互補完。
これにより、チームの平均速度を最大化することが可能になります。
メリット③:コーナーワークと遠心力への対抗手段
レース後半、選手の脚には乳酸が溜まり、思うように動かなくなります。特にきついのがコーナー(カーブ)です。
高速でコーナーを回る際、強烈な遠心力が外側へと体を引っ張ります。
疲労した選手は、この遠心力に耐えきれずに姿勢が浮き上がり、コースアウトしそうになったり、減速したりしてしまいます。
この時、後ろの選手が腰のあたりをアウトコース側からインコース側へ向けて軽く押してあげることで、前の選手の軌道を修正し、遠心力に対抗するサポートができます。
「あと一歩が出ない」という瞬間に背中を押されることは、物理的な推進力以上に、姿勢制御の面で大きな助けとなるのです。
第3章:歴史の転換点〜姉の引退と「継承」の物語〜
ここからは、少し時間を遡り、日本女子パシュートの歴史と戦術の変遷を振り返ります。
なぜ彼女たちは、世界一と称されたスタイルを変更しなければならなかったのでしょうか。
3-1. 平昌・北京で見せた「ジャパン・ウェイ」の栄光
2018年平昌五輪での金メダル、そして2022年北京五輪での銀メダル。
当時の日本女子パシュートは、高木菜那さんという稀代の司令塔と、妹の美帆さんというエースが融合した、奇跡のようなチームでした。
彼女たちの武器は、頻繁な先頭交代と極限の密集隊列。
この「ジャパン・ウェイ」は、世界中の関係者を驚かせ、「パシュートは個の力ではなくチームワークだ」ということを証明しました。
3-2. 姉・菜那の不在と、世界の「パワー化」
しかし、2022年北京五輪の決勝、最終コーナーでの転倒を経て、高木菜那さんは引退しました。
チームは大きな精神的支柱を失いました。
さらに、世界は日本の戦術を研究し尽くしました。
オランダやカナダは、日本の「密集隊列」を模倣しつつ、圧倒的なパワーで押す「プッシュ戦術」を組み合わせてきました。
「技術の日本」に対し、「技術+パワー+プッシュの海外勢」。
美しさだけでは勝てない時代が到来したのです。
3-3. 2026年への課題:エース高木美帆への依存と覚悟
そして迎えた2026年シーズン。
新リーダーとなった高木美帆選手は、難しい舵取りを迫られました。
佐藤綾乃選手という頼れるパートナーは健在ですが、チームには堀川桃香選手、野明花菜選手といった新しい力が加わりました。
経験値の異なるメンバーで、いかに世界と戦うか。
そこで選んだのが、「なりふり構わず、エース高木美帆を活かし、チーム全員でゴールに雪崩れ込む」ためのプッシュ戦術への適応でした。
「かつてのような美しさはないかもしれない。批判されるかもしれない。それでも、メダルを繋ぐためにはこれしかない」
それは、美学を捨ててでも結果を掴みにいく、プロフェッショナルとしての冷徹な決断であり、姉たちが築いた伝統を守るための進化だったのです。
第4章:【詳細分析】0.11秒の悲劇から銅メダルへの軌跡
それでは、ここからが本題です。
現地時間2月17日午後(日本時間17日深夜)から行われた準決勝、そして3位決定戦のドラマを、正確なデータと共に振り返ります。
4-1. 準決勝の悲劇:対オランダ戦の「0.11秒差」
日本時間2月17日22時52分頃。
準決勝第2レース。
日本代表の相手は、スケート王国オランダでした。
- 日本のメンバー: 高木美帆、佐藤綾乃、堀川桃香
日本はこのレース、堀川桃香選手を起用しました。
彼女は長距離に強く、安定感のあるスケーティングが持ち味です。
レースは互いに譲らない大接戦となりました。
高木選手が引っ張り、佐藤選手が支え、堀川選手が必死に食らいつく。
ゴールラインを駆け抜けた瞬間、会場はどよめきました。
- オランダ: 2分55秒84
- 日本: 2分55秒95
その差、わずか0.11秒。
距離にして約1メートル強。
あと少し、ほんの瞬きの間に、日本は決勝進出(銀メダル以上確定)を逃しました。
金メダルを目指していたチームにとって、この敗北はあまりにも残酷でした。
4-2. 運命の決断:2時間のインターバルとメンバー変更
準決勝終了から3位決定戦までは、約2時間しかありません。
この短い時間で、肉体的な疲労を抜き、何より「負けた」という精神的ショックから立ち直らなければなりません。
ここで日本チームは、大きな賭けに出ます。
「3位決定戦のメンバーを変更する」
準決勝で力走した堀川選手に代わり、チーム最年少、21歳の大学生・野明花菜(のあけ はな)選手を投入することを決断したのです。
野明選手にとって、これがオリンピック本番での初レース。
いきなりのメダル決定戦、しかも失敗すればメダルを逃すという極限のプレッシャーがかかる場面です。
4-3. 3位決定戦:対アメリカ戦「圧勝の銅メダル」
日本時間2月18日未明、0時41分。
運命の3位決定戦(B決勝)が始まりました。
対戦相手は、ペイン・トレインの先駆者であり、世界記録を持つ強豪・アメリカ合衆国です。
準決勝でカナダに敗れたアメリカもまた、銅メダルへの執念を燃やしていました。
- 日本のメンバー: 高木美帆、佐藤綾乃、野明花菜
レースが始まると、日本は積極的な「プッシュ」を展開しました。
初出場の野明選手は、緊張で頭が真っ白になりながらも、先輩たちの背中を追い、そして押しました。
レース中盤、野明選手がバランスを崩し、ヒヤリとする場面もありました。
しかし、ここで機能したのがチームの絆です。
高木選手と佐藤選手が巧みにカバーし、野明選手も必死に体勢を立て直しました。
一方のアメリカは、準決勝の疲れからか精彩を欠き、ラップタイムが落ちていきます。
結果は、日本の圧勝でした。
- 日本: 2分58秒50
- アメリカ: 3分02秒00
その差、3秒50。
0.11秒に泣いた準決勝とは対照的に、最後は相手を大きく引き離してのフィニッシュでした。
ゴール直後、高木美帆選手は両手を膝につき、全てを出し尽くした様子でした。
そして、健闘した野明選手、佐藤選手と抱き合いました。
それは、金メダルには届かなかったけれど、チーム全員で勝ち取った、誇り高き銅メダルでした。
第5章:データで見る「銅メダル」の価値
今回の銅メダルには、単なる順位以上の多くの「価値」が含まれています。
5-1. 高木美帆、偉業の「10個目」
このメダルにより、高木美帆選手のオリンピック通算メダル獲得数は「10個」となりました。
これは、夏冬を通じて日本人女子選手として史上最多記録です。
個人の力だけでなく、団体種目でも結果を残し続ける彼女の総合力とリーダーシップは、まさにレジェンドと呼ぶにふさわしいものです。
5-2. 「4人で勝ち取った」メダル
表彰台に上がったのは決勝を滑った3人ですが、準決勝で0.11秒差の激闘を演じた堀川桃香選手の貢献も忘れてはなりません。
彼女が準決勝で好タイムを出したからこそ、3位決定戦への道が繋がりました。
パシュートは登録メンバー最大4名で戦う総力戦です。
高木、佐藤、堀川、野明。
この4人全員の力が合わさってこその銅メダルなのです。
第6章:プッシュ戦術にデメリットやリスクはないのか?
最後に、公平な視点からこの戦術のリスクについても触れておきます。
6-1. 転倒リスクとの隣り合わせ
最大のデメリットは、やはり「転倒リスク」です。
時速50kmを超えるスピードで、幅1mm程度のブレードに乗って滑走中に他人に触れる行為は、非常に危険です。
実際、過去の大会でも接触による転倒でメダルを逃した国は多数あります。
今回の日本代表も、練習段階では何度もタイミングを合わせる訓練を重ねたはずです。
6-2. リズムの乱れ
下手なプッシュは、かえってブレーキになります。
前の選手が重心移動をしている最中に、意図しない方向から力が加わると、スケーティングのリズムが狂ってしまいます。
今回、野明選手がバランスを崩した場面もありましたが、それを最小限のロスで抑えられたのは、日頃の信頼関係と練習量があったからこそです。
まとめ:プッシュ戦術は「信頼の証」だった
「美しい隊列」から「泥臭いプッシュ」へ。
2026年ミラノ五輪で日本女子パシュートが見せた変貌は、私たちにスポーツの奥深さを教えてくれました。
一見すると、必死すぎて不格好に見えたかもしれません。
反則スレスレの荒っぽい戦いに見えたかもしれません。
しかし、その本質は「チーム全員で100%の力を出し切るための、究極の助け合い」でした。
- 前の選手は、後ろを信じて背中を無防備に預ける。
- 後ろの選手は、前の選手を信じて自分の大切なエネルギーを分け与える。
時速50km以上で滑りながら他人に触れるという行為は、絶対的な信頼関係がなければ、恐怖でしかありません。
あの日、私たちが目撃した頻繁なプッシュは、日本チームの絆の強さそのものだったのです。
銅メダル、本当におめでとうございます。
そして、新しいパシュートの形と、変わらぬチームの絆を見せてくれてありがとう。
今後、パシュート競技を見る際は、ぜひ「誰が誰を、どのタイミングで押したか?」に注目してみてください。
そこには、言葉以上のチームの会話と、勝利への執念が見えてくるはずです。
【参考情報・関連リンク】
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より詳細な記録や公式リザルトについては、こちらをご確認ください。